地球の反対にいくまえに

ブログ頑張る。

僕は出勤ゆで卵男子になりました。

最近の話ですが、朝何も食べることなく出勤することが多くなりました。 何故朝食べずに出るかというと可能な限り長く寝たいからなんですけども、やはり何も食べないでいると結構きついです。

しかし途中のコンビニで買って食べたら毎日100円でも一ヶ月で二万円以上かかってしまいます。

夜にがっつりと食事を用意するのもだるい。

そこで考え出したのが「ゆで卵」です。

ゆで卵であれば、夜にかんたんに茹でとくだけですむ手軽さと、低価格に対してそれなりの高カロリーが得られます。 また、個人的に、加工食品を買って食べなくてすむのもいいです。

カロリーメイト僕はよく食べますが、じつはそんな好き好んで食べてるわけじゃないです。コンビニのパンとかもですが、あの工場で作られてる感がいつまでたってもすきになれません。

その点ゆで卵は加工してる感ないですし、安くて、結構うまいです。

さらにゆで卵の最大の特徴はゴミが手元に残らないことです。

「いやいや、殻が出るじゃん。」という声があるかもしれませんが、殻は道端の土にでも捨てることができます。 食べ歩きながら、だんだんと殻が出てきますが、出て来る都度にそれを道端の土が出てるところにポイ捨てできます。 パンや、コンビニで買った食べ物の袋や箱は途中でゴミ箱を探さないといけないのに比べて土のあるところは花垣や木などを目印にすぐにみつかります。 じつはこの出てくるゴミをもつという煩わしさからの開放は結構でかいです。やってみるとわかりますが、食べ歩きが捗ります。

ということで、通勤途中に歩きながらゆで卵を食べることを始めました。

通勤に食パンはもう古いですね、通勤にカロリーメイトウィダーインゼリーも、もう古いです。 最先端の通勤食はゆで卵です。

あっ、ゆで卵のデメリットは電車やバスの中では向かないということがありますね、、、、

社長は毎日会社にこないで何をしているのか?

大手SIerから十五人にもみたない小さなWeb系ベンチャーへ転職してそろそろ一年弱。 小さい会社では社長との距離も近いから社長の仕事というものがどんなものなのかみることができるとおもっていたが、案外そうでもなかった。

たしかに前努めていた会社では社長とは合うどころか、顔も直接見ることのできないところで離れていたからそれよりはずっと社長と身近に話せる距離にいるようになったが、社長は会社で何をどのようにしているのか、結局わからないままである。

そもそも会社を包括的に知ることさえ一社員ではままなならない。僕自身プログラマやったり、ディレクションやったり、一時期は営業もやらされかけたりと、いくつかの部署をまたいで仕事をしているが、結局全体の方向性がすぐ変わるためにどこを会社が目指しているのかわからないでいる。社長も会社も結局わからないのがなんだか歯がゆい。

会社の方針を決めたり、取引先と直接交渉を社長がしてるというのはぼんやりと聞いてはいる。しかし実際に近くに立ってその仕事ぶりを見る機会というものがあまりない。会社全体での報告や話し合いで話すのをみるくらいだ。

最近は身体的にも精神的にも問題がきているのか、ここのところ全然会社に来ていない。たまに来て、おっ、会社復帰か!とおもってもすぐにまたこない期間が始まる。 こないのは、別にそんな不満でもないのだが、(会社を所有してる人なわけだし)これで会社がまわっているなら社長という役職のしてる仕事というのはべつにいなくても指して問題がないということなのか。 社長というのは基本的に椅子の上でふんぞり返っているのがデフォルトなのか。きっとそうではないと思ってはいるが、尚更社長がする仕事というものが何なのか気になってくるこの頃だ。

努力や頑張ることが報われると信じる人と最近のテロは同じ姿勢なのか?

参考サイト

最近イギリスのテロがやけに多いと思ったので、調べてみたところ、幾つか面白い記事を見つけました。 そこで読んでいて、やっぱりテロリストも一般的な近しい人間なんだなと思ったのでとりあえず簡単に文字に起こしました。 上の参考記事内でこのようなことが書かれていました。

 ラマダンの間に努力をすると、ふだんよりも天国に行ける可能性が高まるとされています。

 ジハードという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 日本では「聖戦」と訳されることが多いようですが、実は「努力」「がんばる」といったような意味合いです。

これってじゃあ信じれば道は開かれん!!的なもので、日本であれば、努力すればその姿勢を見た誰か(周りの人でも、神様でもなんでもいいけど)に認められて成功もしくは、高い報酬が得られるということを信じている、もしくはそれが当たり前であるべきと思っている人の思想に近いのかなって思いました。

ただ、ちょっと面白いと思った発見はジハードしても100%天国に行ける訳じゃないことを言っているんだということ。天国に行けるかもしれない だけでジハードするんだ。てっきり天国に行けることを保証するから自爆テロも起せるのかと思っていたけど、テロリストは案外天国に行けるかどうかってのは重要視していないのかな? いや、でもそれだったら天国に行きやすくなる日とか関係なくジハードするよね。ということはやっぱり天国いくことは重要視しているのか。でも、天国に行けない可能性があるけどジハードはする。。。。うーんなんだかこんがらがってきました。

なんにしても成功するのが100%じゃないっていう風に書かれている時点で、100%努力が報われる信仰の思想よりはまだイスラム過激派の思想の方が謙虚なようにも見えます。

まあラマダーンの時期に寄付金を多く集めるための広告という別の理由も述べられているのでこう言う他の理由の方が大きいものなのかなとは思いますが、それはそれで、文字通り命を張ってお金を集めるISには社畜も見習ってほしいとかブラック企業の経営者は思っているのでしょうか?

とりあえず、つらつらと、記事書きました。

毎日一記事を目指しています。

昨今のブログ界を見ていますと、量よりも質を重視したほうが何かと良いだろうとは自分では思っているのですが、なにぶん、書くことが習慣化されていないと、質云々ではなく、記事を書かなくなってしまっているので、ここ一週間はまず書くことに慣れようと思います。 質は一旦横に置いておきます。

今日は今働いている企業でweb担当をしていますので、そこの思うところを書いていこうと思います。 勤め先は10数人程度の小さな会社です。一応はIT企業であるのですが、売り上げが一番でかいのは、オリジナル製品販売です。いわゆるオリジナルTシャツやオリジナルカップといったものの制作依頼を受けて、から発注するものです。 会社には製品の制作できる環境はありませんので、実際の制作は外注するのですが、、、(あれ?これはSIerと同じ構造が見え隠れしてるぞ。。。) 私はそこでその事業部が出しているメディアサイトの運営に半分携わっています。なぜ半分かというと、普通にクライアント依頼の制作やディレクションも行っているからです。

そのメディアサイトの記事は制作部の部長が書いているのを私が見直して、修正してアップしているのですが、いかんせん、彼も私も記事を書くということに慣れておりません。 SEOを意識した書き方ばかりになって、質が落ちているのが最近は分かります。一記事内の文章量も少なくなってきており、監修している私自身、知識が少ないながらもやばいと感じる次第です。

最近では、記事内に広告を載せようという話まで上がってきているのですが、企業の運営するメディアやブログというものに広告を載せるというのはどうなのでしょうか。 もちろん元々の収益方法が広告という形態のメディアサイトはいいかと思いますが、運営するメディアから弊社サービスの顧客を見つける(作り出す)といった目的で行われているものに広告を出しては、目的のページへのリンクも減ってしまいますでしょうし、読者も減ってしまうのではと気がかりです。(いや、まあもともと少ないのですが。。。) LIGなどはもともと集客目的で行ったメディアがメインになった例なのかなとは思ってはいますが、弊社の記事の書き方ではああいう風にはいかないのではないかと思ってしまいます。

広告載せた方がいいのでしょうか。すごく悩みます。

地球の裏からオハヨー

こんにちは 初めまして。じゃんです。

最近地球の反対側に行こうかなと思い初めまして、そのためにできる限りのことをしようと思い、このブログを書き始めました。 (渡航のための資金であったりライティングの仕事を取れるようにするための練習であったり)

地球の反対側ってどこだよ。ブラジルかよ。とか多くの人が思うと思いますが、 僕が行こうとしてるところは、、、、

そうです。はいブラジルです。

この度、ブラジルに行こうと決意した理由はですね、僕の彼女がブラジル人なのです。そして、彼女が帰国するにあたって遠距離恋愛になるなら別れると言いまして、それでまあ、ついていくしかないなと思ったわけです。

僕自身はまだ、社会人2年目でして、貯金も日々の生活の中ですり減らして5万円ほどしかありません。 こんなので、来年の12月にブラジルに行けるのかと心配になっています。 加えて、昨年の4月に新卒として入った企業は半年で辞めて今の企業に転職してきているので、ここで今勤めている企業を辞めるのは正直バカな僕でもリスクがどでかいというのはわかっています。

もちろん僕はポルトガル語はしゃべれませんし、現地で食につけるかも危ういです。

もうね、リスクしか見えてない。ポーカーで言えば、場札0(プリフロップ)時、ハートの3とクラブの9が持ち札の状態でオールインするような気分です。

でも、そんなリスクばかりで勝ち目がないところで少しワクワクしているところがあります。(宝くじ当てることにワクワクしてるくらいバカですが。) きっとどこか普通とは違った一歩を進もうとしているからでしょうか。それともただただ、不安を押し隠すためだけに気持ちが高ぶっているのでしょうか。

まあ、まだちゃんとブラジルに行けるかもわからない状態なので、まずはブラジルに行けるだけのお金を貯めないといけません。 そして同時にブラジルで生きていくためにポルトガル語とwebデザイン・webマーケティング・そしてプログラミングの知識をできる限り可能なまでつけていこうと思います。

このブログの第一の目標もまずは記事を20本くらい書いて、その後にアドセンスをつけるようにすることです。 もう三日坊主とは言わせない!!

留学制度のない高校での交換留学

自分の高校には留学制度がないから

そんな理由で交換留学を諦めている人はいるんじゃないでしょうか。 私費留学は交換留学に比べて費用が倍近くかかるし、親にも申し訳ない。 費用の安い交換留学をしたいと思ったけど通っている高校(または中学、あるいは大学)では留学制度がない/留学提携先がないなどで留学をしたくても諦める人は多いかもしれません。

大丈夫です。通っている学校に留学制度がなくても交換留学はすることができます。 実際に私の通っていた高校には留学制度がありませんでしたが、実際にカナダへ1年間交換留学へ行ってきました。

私は中学3年の時に海外の高校で勉強をしたいと思い、親に頼み込んだ時に親から出された条件の中に下の二つがありました。

1.交換留学であること。  これは留学するにあたって費用を極力下げるため留学先の学費を払わないで済むため、そして留学するに必要な最低レベルの英語力を身につけること証明するため課せられました。

2.某公立高校に入学すること  私は中学時代あまり頭がいいとは言えない成績でした。その中で親が最低限認めた進学校であり、なおかつ授業料の安い公立高校に進学することで留学した時の費用をカバーするためでした。

他にも色々条件はあったのですが(三年間は無理だから一年間だけとか)、上の二つが最低限度の条件として中三の僕に課せられました。

先生からも志望校を落としたほうがいいと言われながらも、僕の運の良さがさっきされなんやかんや高校に入学することができました。 この時点で僕は自分にも自信がつき「おっ、これは留学できるんじゃね?」とか思っていたところに大きな壁が立ちふさがりました。

ここまで前置きが長くなりましたが、そうです、

僕の進学した高校には留学制度がありませんでした。

なんという罠でしょうか、私は策士母の仕掛けた罠にまんまと引っかかってしまっていたのです。

校内情報を調べていた僕の頭の中は「え?嘘だろ?マジで?」もうパニックでした。 しかし、落ち着きを戻してから策士母に対しての復讐心と同時に一層留学への決意を固くしたのです。

なんとか母の魔の手を滑り抜け、目標へとたどり着く裏道を探し出しましたら、案外早く見つかりました。 外部の団体が支援する交換留学制度が見つかりました。

そこからは留学支援を行っている企業・団体の元を訪れて、情報を得るために動いたり、交換留学へ行くための試験を受けるなどを通じて一気に留学への道が進んでいきました。 (とはいえ、交換留学を行うために必要な試験では一度落ちてしまっていたので、高校一年の時期には留学には行くことができませんでしたので順調に進んだというわけではありません。)

私が交換留学で行ったのは「ISA」という企業ではありましたが、他にも多くの似たような企業・団体があります。有名なところであれば、「AFS」などがあります。 こうしたエージェントと呼ばれるところはどこがいいのか、どこが自分に合っているのかなどは結局自分で情報を集めて調べてみるのが良いです。 もちろんエージェント側も企業であれば収益を求めて様々なオプション等を出してきますが、その際は自分に必要があるのか、ないのか適切に判断し選択していくことが求められます。

高校に留学制度がある場合はこちらから動かずとも支援や必要な情報は与えられる環境に入られますが、そうでない環境にいる人は積極的に動いていくことがより多く必要になります。

もしも留学をしたいけど「環境」のせいで留学することが出来ないと考えている人は、諦めてしまうのではなく、そこからどうにか留学する手段はないか一度情報を集めてみることをお勧めします。

高校時代の留学の意義について

先に述べておきますが、ここでいう留学は基本的に約一年の交換留学・それ以上の長期留学に該当します。語学留学は含めていません。(高校でも大学でも)

【高校留学の大人からの反応】 僕が留学を考えたのは中学3年の秋からでした。 それまでは自分の町から出たくなかった僕でしたが、その年の夏に世界の広さを実感してからいろんな国へ飛び出て住んでみたいと思うようになりました。

そこで秋から高校で留学をすることを決意したのですが、親は賛成してくれたものの(後で二度ほど裏切られるが)、親戚を始め多くの大人は高校での留学に対して反対してきました。 多くの大人は留学にはいいことだと言いながら、高校生での留学は早いというのです。 英語がまだしっかりと身についていないうちに留学してどうなるのだ、留学なんて大学に入ってからでいいんだと。

確かに、英語ができないのに英語を学びに長期間海外で過ごすのは馬鹿だと思います。それに英語を勉強するためだけであれば日本で十分間に合うと思います。 でも留学は決して英語を学ぶために行くのではない、少なくとも僕は「もしも違う国で生まれたらどういう人生を歩むのだろうか」と言う疑問を解決するために行きたいと思っていました。大学での留学ももちろん興味はありますが、高校生の時にしか海外での高校生活は送れません。大学生になってからではもうできないのです。

この留学に対する動機の良し悪しは置いといて、これは今振り返っても正しい判断であったと感じています。 日本人の多くは「いつか、いつか」といつかできればいいと先延ばしにしたり、自分のやりたい夢や事柄を将来に持ってきがちです。しかし、これはとても損をしていることです。先延ばしにすることで「今」を捨てているのです。「今しかできないこと」は常に消えていっています。将来に生きるのではなく、今を生きなければ一度の人生の中で得られる経験は少なくなってしまいます。 だから学生の皆さんはもっと今現在をもっと見てください。

【本題:高校留学の意義について】 私は高校でも大学でもそれぞれ一年間交換留学をしていますが、大学での留学と高校での留学はやはり大きく異なります。多くの方が「留学」という枠にひとくくりにしがちですが、留学をしたことものない人が勝手に憶測でまとめて話しているだけなので信じないでください。

そもそも留学の一つ一つが人によって、その時の目的・状況によって全く異なります。しかし、大きな特徴としては専門的な目的(音楽、スポーツ、芸術、他特殊技工など)がなければ基本的には高校時代の留学は大学での留学に比べてしまえば遊びのようになるでしょう。なぜなら大学での留学は基本的に自分の専攻と関係の深い勉強を中心に勉強するために先にべたような専門てきな目的と同じものになるからです。

しかし、だからと言って大学での留学の方が難しくて、高校の留学の方が簡単というわけではありません。 現地の高校で一緒に英語の授業を取ろうものなら、シェイクスピアの本を原文で読んだり、専門用語や文化背景を知らないのに関わらず、社会や理科の勉強をしなければいけないのです。特にシェイクスピア原文は現地の学生でさえ「なんやねんこれ」というレベルですので、英語もままならない日本人からしたら 発狂ものです。(日本語で言う古文を学ぶようなもの)

こうしたわけのわからないことを経験することは日本にいる間では早々ないでしょう。若いうちにここら辺のレベルの苦労をすると大抵そのあとはやっていけるとポジティブに考えられるようになります。

また、現地の高校の勉強への取り組む姿勢というのは日本の一般的な高校生の大きなインスピレーションになるでしょう。 普段めちゃくちゃアホみたいなことを平然とやっている彼らですが、めちゃくちゃに見えて勉強をしっかりとやっています。特にプレゼンや資料の準備は日本の一般的な大学生顔負けで一生懸命やりますし、高校生の時には考えられないクオリティで発表してきます。 ただ、内容を覚えて詰め込むだけではなく、資料のデザインや、聞き手の引きつけ方など、大学の講義で学ぶようなことを自主的に取り入れていきます。 日本とは教育の仕方や制度も大きく違いますが、それを受ける側の姿勢が大きく違うところを見ることができます。私のいた国(カナダ)では大人が学校や授業を一方的に形作るのではなく、学生側も積極的に加わって作っていくのです。学校のイベントや学生のクラブ活動などは基本的に学生が主体です。アホみたいに同じ毎年恒例の学園祭や修学旅行などはありません。毎年毎期生徒会を中心とした学生がイベントや活動を考えてそれを運営して行っていきます。これらを実際に経験して、私は帰国してから日本の教育制度がいかに凝り固まったもので、ただ受ける側でしかない生徒だと理解してもその上で、自分のやれることを積極的にやって学校生活を作っていこうという気になりました。 ただ、受け身になって流されるだけの学生を日本の教育が作っていっていると言えますが、ここで気付けないと社会に出てもただ流されるだけで生きる多くの人間の一人になってしまいます。 これは大学留学ではなかなか得られない経験です。 高校生の時に留学したからこそ見えるものです。大学での留学と比べ高校での留学は生活・文化の違いをより顕著に見えることができます。いいところも、悪いところも。 そして、まだ高校生であるからこそ受けられる刺激・見つけられる違いの実感があり、あなたの人生により大きな影響を与えるでしょう。

高校での留学はそう誰でもできるものではありません。もしもそのチャンスが近くにあるならば、またどうしても高校で留学したいという思いがあるのなら全力でそれを取りに行ってください。絶対にあなたの見る世界を変え、人生をより豊かにできるだけの可能性がそこにはあります。そしてそれは「いつか」では、もう得られないものです。

ここで挙げたのは例は高校留学で得られるものの一例です。 どんなことを経験して、どんなものを得たのかまた別の記事で書いていきたいと思います。 興味があったら是非一読してください。